ヘアカット~

半年ぶりくらいに美容院へ(笑)

まえ担当してくれた方が辞めちゃったそうで、
はじめましてのお兄さんにお願いしたのですが。

やっぱ今のお店、安いだけあってうまい人とそうでないひとの差がでかいんだよなあ。

悪くはないんだけど、めっちゃめちゃいい、ってほどでもないっていうか(笑)

シャンプーしてるときに顔のタオル落ちまくるし、
一瞬熱湯かけられるし…
まあほかのお店からのヘルプやったらしいからしゃーないんやけどね。

まあ自分でこんなんがいい!って云えないのもあるししゃーないんやけどね。

前回前髪作ってみようかって言ってたけど怖くて任せられず。
あんまりまっすぐ嫌って言ったのにまあまあまっすぐやし(笑)

うーん…

安いのは助かるけどちょっとなあ…

一周忌

母さんの一周忌でした。

先週の日曜日に、法要は済ませたから、今日はいつも通りに過ごしたよ。

法要では、たくさんの人が集まってくれたよ。

たくさんのお花とかお供えを頂いてしまいました。

母さんが花が好きだったから、ご近所の方が毎月月命日にお花をくださってて、今回もとってもきれいなお花をいただきました。

まだお家は、お花のいい香りで包まれています。

 早いような、長かったような。そんな1年。

法要では、儀典長さんが去年の地区総会の話とかしてくれて、泣けた。

律儀に最後の力振り絞って、出席したんだよね。

ほんまに信心強盛な母でした。

自分ががんって分かってから、自分が受け持ってたこと全部引き継ぎやって、

葬式でかかった費用はすべて自分の保険金で補って、

家族で介護のことこれからどうするか決めようって時に死んでいった。

人に迷惑をかけることを人一倍嫌う母だから、ほんまに誰にも迷惑かけずに死んでいった。

ある意味、母は自分が決めた通りに、祈ったとおりに死んでいったんだと思う。

母は、自分の生き様、死に様を通して、全力で私達に信心のすごさを教えていったような気がしてならない。
…そんな姿見つつ、なかなか頑張れていないのが情けないけどね。

御葬式で、母がどれだけ地域の為に動いていたのか、頑張ってたのか。

それが今さら凄くよく分かった。

専業主婦の母…あんなにたくさんの方が御葬式に来てくれるなんて、ほんまに凄いと思った。

多分私が今死んでも、多分母の半分も、御葬式には来てくれないだろう。

それだけの人に、母は慕われてきたんだ。

それを思ったら改めて母を尊敬した。

母は、本当に素晴らしい人だった。

お馬鹿で、素直で、可愛らしい人だった。

母が死んだことで、父がどれだけ母を愛してたかも本当によく分かった。

喪主挨拶は、母への熱烈なラブレターだった。

火葬場で、母を冷凍保存しておきたいと号泣した父。

父は、ちょっと変わってる人だけど、父なりの母への愛情に溢れた御葬式だったように思う。

伊達に五年以上、日本とベネズエラで超遠距離恋愛してないよね。

だから、ぶっちゃけこの1年は、父が母の後を追わないかと気が気じゃなかった。
母の看護中は、父は本当に本当に辛そうだったから。

父には趣味もあって、何よりトトがいてくれたから、世話をすることで、毎日何とか生きてくれた。

私も毎日、電話して父の様子を見守った。

今は、一人暮らしにも慣れてきて、私なんか家に帰っても甘えまくり(笑)なーんにもしてない(笑)パラサイトシングル(笑)

何とか、今日まで来れた。
弟も、忙しい合間を縫って、父の為にたくさん動いてくれてる。

弟も、もっと母さんに親孝行したかったろうに。そう考えると泣けてくるけど。

家族で支え合って、今日まで来れた。

悲しみはまだまだ癒えないけど…。

これからも、我が家らしく、一歩ずつ進んでいきたいな。

今日は母が大好きだった映画館へ行って映画見てきた。

君の名は。 を見てきたよ。

主人公の男の子の情熱が父さんとだぶって号泣してもた。

父さんの母さんへの愛は同じくらい強いイメージがあったんだよ。

きれいないい映画だった。野田さんの切ない声が本当にぴったりだったよ。

母さん、楽しかったね。

早すぎる

仕事が終わって帰宅途中に、父から電話が。

母はついに霊山へと旅立ちました。


がんが発覚してから1ヶ月ちょっと。

余命3ヶ月という宣告を全うせず、あっという間でした。

言いたいこといっぱいです。
なんでやねんとか。
もっと一緒にいたかったとか。
もっと色々してあげたかったとか。
弟結婚したばっかりやぞとか。

今はただただ涙がとまりません。

セカンドオピニオン

17日。関空周辺のがん専門病院に、母さんを連れてセカンドオピニオンへ。
ちょっと早く着いたけど、点滴する時用のベッド貸してくれるって事で、横になりながら時間を過ごす事ができた。病院のありがたいご配慮に感謝。移動の時にって、車椅子も貸してくれた。
窓辺に置かれたベッドからは、きれいな海と、少し雲ってたけど秋の優しい光がさす空が見えた。
きれいだね〜って言いながら、母にマッサージをしてあげて時間を過ごす。
母の身体がすごく冷たいのに、汗がとまらなくて、看護師さんも問診票にそれを書き込んでたくらい。

それから約束の時間がきて、話を聞きに行った。
期待してた。まだ可能性はあるかもしれない。まだできる治療があるかもしれない。


甘かった。

前の病院と一緒で、何にもできないって言われた。

母さんの場合、がんが肝臓にまで転移していて、肝臓が悪い状態で治療をすることは、結果的に肝臓自体を悪くしてしまうんだって。
がんによる身体の苦しみに加えて、治療による苦しみが増える。
それだったら、しないほうがいいんじゃない?
そういう考えみたいだった。

父さんは、一言も話さなかった。
母さんは、喋ることもしんどいけど、力を振り絞ってお医者さまに質問してた。

呼吸が苦しいから、肺のがんだけでも治療できないか?と聞いてたんだけど、そもそもがんのせいで肺がむくんでいて、治療しても呼吸のしんどさは変わらないだろうって。



終わってから、弟夫婦が到着。(高速が工事中で地道で来たらしい。)

「どうやった?」ってきかれて、「あかんかった」って返さなきゃいけないのが辛かった。

Y医大とまったく同じ見解やったことを伝えたら、弟もしばらくは無言やった。



母さんの症状は日増しに悪くなる。
今回帰ったら、固形物はほぼ食べなくなってた。
近所のおばちゃんに貰った「飲む点滴」を頑張って飲んでるくらい。
あんまり飲めないから、最近は栄養足りなくて、一番最初に受診した近所のK医院に、ほんまの点滴しに行くようになった。

せめてごはんが食べられるくらいまで体力が戻らないと回復しないから。

まだまだ諦めない。
みんなで一致団結して、母さんの病と戦っていく。

多分みんな気持ちは一緒。


18日は、地区総会。
父さんの平和についての発表を見に弟夫婦も呼んでたから、みんなで一緒に会館へ。
母さんも、まわりの人に支えられながら、守られながら参加することができた。

ご近所さんがいっぱい励ましの声をかけてくれたり、母さんが参加しやすいように工夫したり心を砕いてくれたり。

また改めて、家族で決意できたんじゃないかって思う。

病になることは不幸じゃない。病に負けて心まで不自由になることが不幸なんや。
生老病死はどんな人にも訪れる。

母さんは自分の姿を通して、私たちに大切なことを教えようとしてくれてる。
頑張ってる母さんを支えられるんは、私たち家族だけ。
それを見守って、力を貸そうとしてくれる人たちもいる。

今まで私たちは、母さんや父さんに守られて生きてきた。
今度は私たちが母さんを守れる人間に成長していかなきゃ。

そんな話を弟夫婦にしたりもしつつ。


改めて決意の1日でした。